コロニーコミュニケーションとはコロニー(colony)植民地の意味で、集団居住地, 「村」を意味します。また、エコロジー(ecology)(生態学的にみた)自然[生態]環境を考慮し、自給自足を基本理念に物事を考えます。コミュニケーションとは(communication)通信, 交信, 文通の意味で、交流・意思の疎通を意味します。
 また、コミュニティー(community)共同体,地域社会の意味もあります。

   私の造語で(colocom)と命名し、日本語名で (姨捨山構想)とします。

 高齢化社会を迎え、我々団塊の世代以降に生まれた世代が今後直面する老齢化をいかに対処するか考えることを目的に、ネット上でさまざまな意見を求め、これからの我々が進むべき 道を模索するための『バーチャル』な集落です。
 このホームページを立ち上げた意味は、高齢化をどう意義あるものとして受け入れるのか、仕事人間として会社、社会に貢献していた後、これからの生活をどうするか考えることです。
 終の棲家を見つけ新たな生活を始めた今、現実の空間として共同生活を送れる場所を確保し、生活を楽しむことを夢として実現させたいと常々願っています。この構想に共感できる、またはもっと詳しいことが知りたいと思った’あなた’連絡をお待ちしております。知り合いの方にもご意見聞いてみてください。
 発想は『姨捨山』。日本の童話に『姨捨山』というのがあります。この童話は長野県に昔から伝わる老人の大切さを後世に残す昔話で、定年になっても人生を歩んできた能力がなくなるわけでもなく、病気に悩まされる以外、確かに動作は遅くはなるが、立派に社会の役に立つことが可能だということ、現代社会では少子核家族化が進み、老後の面倒を子供に押し付けることはなお困難な状況にある。
 これからの高齢化社会は、自分の命は自分で守る覚悟が必要で、コロニーの住民はお互い助け合い、老後の面倒も元気な人が看ることが必要ではないだろうか?

  『姨捨山』
 むかし、信濃の国に、たいそうわがままな殿さまがおったと。殿さまは年よりを嫌って「六十歳以上は山へすてること。」というおふれをだした。又助もおっかさんを捨てにいかなければならなかった。しぶしぶおばすて山へ向かったが、どうしても捨てられず、家の床下へかくしてしまったと。
 次の年の夏、隣の国から三つの難問をつきつけられ、国はおおさわぎとなった。問題は、<灰でなった縄>、<絹糸を通したホラ貝>、<たたかないで鳴る太鼓>だと。この三つの品をもってこないと、大軍で攻めるという。殿さまはおおあわてだ。誰か解ける者はないかと、国中へおふれをだした。
 又助も床下のおっかさんに話したと。すると「どれもこれも楽だ」といって教えてくれた。「灰の縄は、縄を塩水浸してから焼けばいい」「ホラ貝に糸を通すには、一方にははちみつを塗り、一方から足に絹糸を縛りつけたアリをいれる」「太鼓の中へアブを入れれば、たたかずに鳴る」と。又助はおっかさんに教えられた通りに作って、殿さまの所へもっていった。「でかしたぞ。ほうびは望みしだいじゃぞ。」と、殿さまは大喜びしたと。
  又助は今までの事をつつみかくさず申し上げ、母を助けてほしい、とたのんだと。殿さまはしばらく考えていたが、やがて又助にいった。「年よりがどんなに大事なものか、はじめてわかったぞ。」そして殿さまはその場で、おふれをとき又助にたくさんのほうびをあたえたと。
 又助は家へとんで帰り、おっかさんと抱き合って、うれし涙にくれた。村人たちも手をとりあって、喜びあったという。


 参考文献 : http://www.live-st.co.jp/topick2/uwasa/rekisi/012.html

お堂